白き石を求めて

イタリアへ

 西暦2000年3月末、私は日本を後にした。ちょうどその頃、日本では小渕総理大臣が突然亡くなり、北海道では有珠山が噴火するという騒ぎが起きていた。

 真っ白な大理石を、心行くまで彫りたい・・・。ただその思いだけで日本を後にし、イタリアへと向かったのだった。しかし、イタリアの大理石の産地、カラーラに来てみると、事情は予想していたものとは少し違っていた。昨年の下見で、雪がかかったように所々白く見えたカラーラの山々は、海岸のマリーナ・ディ・カラーラから見たのとは違って、そばでよく見ると、グレーで、まるで哀しみに満ちた表情をしていた・・・。

 ミケランジェロがこの地を訪れ、大理石を切り出してから、500年の歳月が過ぎ去っていた。彼が求めた、白く輝く大理石、スタトゥアーリオは取り尽され、今残っているのは、哀しみに満ちたグレーの大理石ばかりだった・・・。ミケランジェロがこの光景を見たらどう思うだろう。カラーラの山々はまるで、私に何かを訴えるように、ひっそりと佇んでいた・・・。

 二週間の滞在中、私は毎日クオーリー(採石場)を訪れ、白い大理石を求め続けた。何百とあるクオーリー、そして運ばれてき大理石をストックし、板状に切っていく工場・・・。私は毎日数百の大理石を調べては、まるで水を求めてさまよう、飢え乾く旅人のように彷徨していた。

 「私の白い大理石は何処にあるのだ・・・」、私は物乞いをする乞食のように、大理石の会社を訪れては、白い大理石を捜し求め続けた。しかし、返ってくる答えは、「ノン・チェ」(ない)という返事だった・・・。

 ミケランジェロがサンピエトロ寺院に安置されているピエタを彫るときに切り出したクオーリーを訪れたときに、私は足元に転がっている、真っ白で、幾分乳白色の石ころを見つけた。「これだ、これが欲しいんだ!」私は同伴していたクオーリーの責任者に叫んだ。しかし、その答えは、「去年取り尽くして、今はもうない」というものだった。聞けば、日本を中心とした大企業がその石を建材として買い占めたということだった。「何ということだ・・・」私は白く輝くスタトゥアーリオの小石を握りしめた。

 

“聖なる石” ━ ピエトラサンタ

 早10日が経過していた。いつまでもホテルに滞在しているわけにもいかない。かといって、アパートを借りるにしても、肝心の白い大理石のブロックがまだ見つかっていない・・・。私はさらに足を伸ばし、カラーラの隣町のマッサ、そしてピエトラサンタへと向かった。こうなったらしらみ潰しだ・・・。私は雨にもかかわらず、ずぶ濡れになりながら、白い大理石を求めて彷徨し続けた。

 ピエトラサンタ、それはイタリア語で“聖なる石”という意味だ。500年前、ミケランジェロはこの町に立ち寄り、石探しを始めたのだった。今でもこの町には、ミケランジェロが立ち寄ったカフェ“バール・ミケランジェロ”が営業を続けている。私はこの町に来るたびに、必ずこのカフェを訪れ、真っ赤な色をしたオレンジ・ジュースを注文する。その酸味の強さとほどよい甘味は、歩き回った疲れを癒し、ひとときの休息を私に与えてくれる。

 私はピエトラサンタでは、大理石の工場ばかりではなく、石工たちの工房も訪れ、白い大理石の情報を集めていった。しかし、私がそこで見た、彼らが使っている石は、どれもグレーの大理石、オルディナーリオだった。まれに、ところどころ黒やグレーの縞はあるが、スタトゥアーリオを見つけた。しかし、何年も前に掘り出されたもので、すでに行き先が決まっていた。「今はもう、50cmぐらいの小型のものならともかく、スタトゥアーリオで1m、2mのブロックは入手不可能だ」というのが彼らの答えだった。

 世界中から送られてくる石膏のミニチュア、そしてそれを等身大にして、大理石を彫っていく職人たち・・・。エアー・コンプレッサーと、石を切るグラインダーのけたたましい音だけがあたりに響いていた。

 自分では石を彫らない現代の“彫刻家”たち・・・。彼らは彫刻家を名乗るが、自らは“彫刻”をしない。どの石で彫るかも自分で確かめず、石の声を聞こうともしない現代の“彫刻家”たち・・・。私は彼ら“芸術家”より、こうして石に触り、黙々と彫り続ける石工たちをむしろ尊敬する。

 すでにマッサ、ピエトラサンタでも数日が過ぎ、見て回っていない場所は限られてきた・・・。そんなある日、私は何気なく立ち寄った一軒の大理石会社で、純白に輝く大理石が積み上げられているのを目にした。「あるじゃないか!」私はそう叫びながらその石に近づき、太陽の光を浴びて、キラキラと白い結晶を輝かせている大理石を見上げた。

 「この石は何処から来たんだ?カラーラか?」私が責任者に尋ねると、「いや違う。この石はイタリアの石ではなく、ユーゴスラヴィアから来たものだ」と彼は答えた。「ユーゴスラヴィア!?何でイタリアにユーゴの石があるんだ。おまけに今(2000年当時)はコソボやベオグラード、ミロシェビッチのことで危なっかしくて、そんな状態じゃないだろ?」私がそう聞き返すと、「もうイタリアでは、白い石の入手は難しい。たとえ掘り出されたとしても高価で手が出ない。だからこうして輸入しているんだ。」と彼は説明した。何ということだ、大理石の産地イタリアが、大理石を輸入しているなんて!

 すでに買い手の予約が入った三つの白い大理石。「週明けに買い手のキャンセルがあるかどうかわかるから、そうしたら連絡するよ。」そう言う彼の言葉に、私は一縷の希望と同時に、イタリアでの石探しに失望を感じながら、その会社を後にした。

 私はさらに別の会社で、スラブ(板)状に切られた白い大理石を見つけた。その石も同じように白く輝いていた。「この石は何処から来たんだ?」私がそう尋ねると、「マケドニアからだ」と責任者は説明した。「マケドニアだって!?」ユーゴスラヴィア、そしてマケドニア・・・。情報の正確さはともかく、バルカン半島でこの白い大理石が採れることは間違いないらしい。

 以前日本で、“バルカン・ホワイト”という白い大理石の破片を見たことがある。1ブロック百万円以上もするので手が出なかったが、その白さは今でも覚えている。バルカン半島から白い大理石が採れる・・・、そのことは間違いないようだ。問題はどの国のどの地域か・・・。商売上、彼らからそれ以上の情報は聞き出せない。“聖なる石”ピエトラサンタで見つけた、バルカン半島から採れる、真っ白なその石の名は“シベック”・・・。私はその情報だけを頼りに、週明けの月曜には、すでにバルカン半島へと向かっていた・・・。

                     

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   ホテル・ミケランジェロ      から見たカラーラの山   (白く見えるのは大理石)