謝辞 

 今年で彫刻家として歩み始めて早10年になる。30歳から彫刻を始めた私は遅咲きの方だが、世界中を旅しながら、多くの方々の支援のもと、こうして制作活動を続けて来ることができた。中でも、日本を離れて異国の地で4年もの間、5トンの大理石を彫り続けたことは大きな経験だった。

 まずイタリアでお世話になった方々に感謝したい。カラーラにいる間中お世話になったホテル・ミケランジェロのラタンツィ氏、故彫刻家シニョーリ氏の奥様柿沼冨美枝さん、そしてピエトラサンタの工房のフランコ・チェリビエッティ氏とその奥様。何を隠そう、私が白い大理石シベックをピエトラサンタで見つけたときに、当時ほとんど唯一人、この加工の難しいシベックで見事な彫刻を手掛け、腕があるならこの石は最高の作品を産むだろうと私にアドバイスしてくれたのはチェリビエッティ氏だった。そして英語がわからないチェリビエッティ氏とイタリア語がわからない私との会話を日本人の久代夫人が通訳してくださった。7年前の出来事だが、イタリアからマケドニアへと渡るきっかけとなった。

 そして、イタリアからギリシャに渡り、旧ユーゴスラヴィアのマケドニアへと渡り、4年の歳月をここで過ごした。大理石シベックの産地、プリレプという小さな町で彫刻ができる準備を手伝ってくださったアート・コロニーのディメ・ヤネスキ氏と奥さんのゴルダナ・バービッチさん、そしてそのご家族、シベックの採石場で一日中一緒に歩き回って、作品にふさわしい大理石を一緒に探してくれたルプチョ・ボチェスキさんとそのご家族、私が永らく下宿してお世話になったエレナ・ペレスカさんとそのご家族、ソティル・ポポルダノスキさんとそのご家族、スザーナ・ナウモスカさんとそのご家族には、まったく家族の一員として迎えてもらった。また“Vita Nuova”の写真を撮ってくれたズボンコ・ペトロスキさんとそのご家族にも感謝したい。

 そして、制作の現場となり、4年間私を支えてくれたメルメルン・コンビナート(大理石工場)でお世話になったすべての方々、特にペツェさん、スネジャさん、キリルさん、スピロさん、ギリシャ人のフォルティスさん、ディミトリさん、バシリさん、そしてオーナーであるFHLキリアキディスグループのイリアス・キリアキディス氏には、いつも便宜を計らっていただいた。

 プリレプの町の人々は、いつも気軽に私を家に招待してくれ、とても楽しい日々を過ごすことができた。スコーピエの日本領事館の香寿さんにはマケドニア滞在中にさまざまな便宜を図っていただき、マケドニアにいながら日本風の料理をたびたびごちそうしていただいた。また、松元洋さんには、わざわざプリレプまで「世界週報」の取材で来ていただき、その後もお気遣いしてくださった。

 オーフリッドの湖畔のリュバニシタ村で、アトリエ兼住居として別荘を貸していただいたクルメさん、奥さんのズラタさんにはいつもおいしいマケドニア料理をごちそうしてもらい、英語が話せる息子さんのブラゴヤ君と奥さんのサシカさんにはオーフリッドの町をいつもあちこち遊びに連れて行ってもらった。リュバニシタ村の人々はいつも暖かく私を迎えてくれ、私のアトリエになついていた子犬たちは私の心を和ませてくれた。

 そして、聖ナウム教会のあるスベティ・ナウムでは、私にとってこの世でもっとも美しい光景がいつも迎えてくれ、教会の神父ネクターリさん、教会で働くドンチョさんと奥さんのボスクレさん、息子さんのサショ君とノーネ君は、家族のように私をいつも迎えてくれた。教会の敷地の中にあるホテル・スベティナウムとレストランからの眺望は最高で、オーフリッドの湖を一望できる。このホテルとレストランの皆さんにもいつも親切にしていただいた。教会の麓にある泉では、ニコラさんとステファンさんのボートに100回近く乗り、ひと時の瞑想を楽しんでいた。この記録はいまだに破られていないだろう。

 私はモデルを求めて、セルビアの首都ベオグラードに渡ったが、ここでの出会いもまた素晴らしいものだった。まずは私の作品“Vita Nova”のモデルを務めてくれた二人の女性に感謝したい。彼女たちは、バスで15時間もかけてマケドニアの私のアトリエに来てくれた。特にアルバニアとの国境沿いにある私のアトリエに来ることは、セルビア人にとって、とても勇気のいることだったに違いない。また、当時美術大学の大学院生だったコリャさんには、多くの友人を紹介してもらいベオグラードの街を楽しむことが出来た。そして、彫刻科で助手をしているゾラン・イワノヴィッチさんにはモデルさんを紹介してもらっただけではなく、私の知らなかった技法を教わり、そして奥さんの手料理と二人のかわいい娘さんの歓待をいつも受けていた。メディアを通じて得られるイメージとは違い、セルビア人ほど開放的で暖かい人種はいないかもしれない。私を主賓として結婚式に招いてくれたミハイロ・イェロトヴィッチさんと奥さんのティナさんにも感謝したい。

 私の作品“Vita Nova”は現在アテネ近郊の地で保管されている。そのFHLキリアキディスグループのFHLトレーディングの皆さんにはとても親切にしていただいた。そしてこうして日本に戻り、安心して制作活動を続けられるのも彼らのお陰である。“Vita Nova”を実際に公開し、多くの方々に鑑賞してもらえる日が早く来ることを祈っている。

 私は帰国後、アイルトン・セナの胸像作りに専念した。私の作品を認め、何度も作品を見ていただいたヴィヴィアーナ・セナ女史に、そして、私の制作を助けてくれたアイルトン・セナ財団の皆さんに心から感謝したい。特にベニー・ゴールデンバーグ氏には多くの助言を頂いた。このアイルトン・セナ像は、彼の遺志を受け継ぎ、日々活動を続けている彼らのためにある。そして、制作に使った写真の多くは写真家宮田正和さんが撮られたものであり、多くのご協力をいただいた。また、後藤嘉之さん、大里進さん、オールアウトの皆さんにもご尽力していただいた。

 教育学部の大学院生に過ぎなかった私が、彫刻家として歩み始めるにあたって、私を理解し、応援してくださった恩師の佐伯胖先生に感謝したい。そして、絵の指導をしてもらった赤門前のマルニヤの山口詮子さん、石膏の取り方を教えてくれた故青野三郎氏、そして今もその看板を守り続けている宇佐美映子さんたちはその歩みを見守っていてくれた。日本画家のアラン・ウエストさんは当時赤門前にアトリエを構え、大学の帰りに私はよくお邪魔していた。芸術家として生きていく心構えを彼から教わった。今はなくなってしまったが、当時赤門前にあった喫茶店では後藤家の皆さんに暖かいもてなしをいつもしてもらっていた。大学にいる時間より、その喫茶店にいた時間の方がはるかに長かった。発表した最初の大理石の作品「産月(うみずき)」の名づけ親である芝戸さんと坂さんには、物理的にも精神的にも多くのご支援をいただいた。

 そして何より、私の才能を見出し、彫刻家として歩むために、大理石やアトリエ、そして作品の発表の場まですべて用意してくださった佐藤石材の故佐藤俊市氏は、彫刻家小鹿良太の恩人である。彼の存在なくして、今日の私はないだろう。佐藤石材の社長佐藤俊治氏、工場長の中島さんには今もなお多くのご支援をいただいている。日本で石が彫れるのはこの方々のお蔭である。

 母十喜子は三ヶ月で帰ってくるはずのイタリアでの制作が、まさか四年もの間一度も日本に帰らないことになろうとは予想もしなかったことだろう。母の兄夫妻で、幼少の頃から親代わりに育ててくれた一夫と律子は、マケドニアにいる私の身を案じ、この3人への連絡は欠かせなかった。

 こうして今日でも彫刻家としての制作活動が続けられるのも、こうした人々の暖かい支援があったからに他ならない。そして私の作品を愛してくれている人々のおかげである。私はまだ未熟だが、天から与えられたこの才能を作品にして、少しでも多くの人々と分かち合っていきたい。アイルトン・セナの像を収めた時に、アイルトン・セナ財団のシュリーさんから「神があなたにこの才能を与えたことを神に感謝します」と言われたのがこれまで受けた最大の賛辞であり、故アイルトン・セナの姉であるヴィヴィアーナ・セナ女史が母ナイデ・セナさんに見せたいと言ってくださったときに、この作品の真の使命が果たされたような気がした。

 このホームページを作るにあたり、ご協力してくださった方々に感謝したい。フロント・ページとスライド・ショーのバッハの「G線上のアリア」は、フルート奏者であり、「机の上の交響楽」の中島祐(PICCOLO)さんが作成されたものである。私のホームページに使わせていただくことを快諾してくださった。そして一番力を注いだスライドショーはFLASH作成ソフト「SUZUKA」を使って作成したものであり、「SUZUKA」の生みの親であるUZOさんには何度も丁寧なご指導をしていただいた。その他、「POWERBULLET」「簡単バナー」「FFFTP」「縮専。」「Pixia」などのソフトを使わせていただいた。どのソフトも誰でも自由に使えるので、興味のある方はリンクをご覧になって欲しい。

 そして最後に、こうして私のホームページを訪れてくれたあなたに感謝します。機会を見て、他のさまざまな作品やエッセイを取り上げていきます。お楽しみに!

彫刻家 小鹿良太 

ryota@koshika.net